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非理法権天 「敷島通信」山下俊輔(山下しゅんすけ) 起きる会 代表

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

奉祝 明治節 皇紀2677年11月3日  

奉祝 明治節 皇紀2677年11月3日


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第122代 明治天皇様

明治節

第122代 明治天皇様の天長節( 天皇誕生日)

御生誕:嘉永5年9月22日(1852年11月3日)


明治天皇様

第122代 天皇

御名 睦仁(むつひと)

異称 佑の宮(さちのみや)

御父 孝明天皇

御母 典侍(ないしのすけ)中山慶子

践祚 慶応3年1月9日 16歳

即位 慶応4年8月27日 17歳

生誕 嘉永5年9月22日

崩御 明治45年7月30日

在位 46年

御年 61歳

后妃 皇后一条美子 典侍柳原愛子

在位期間 1867~1912年

生誕~崩御まで 1852~1912年

御陵 伏見桃山稜(京都市伏見区桃山町)

縁の神社 明治神宮




日本国国歌「君が代」

君が代は
  千代に八千代に
 さざれ石の
   巌(いわお)となりて
    苔(こけ)のむすまで




明治節


明治節(堀沢周安 作詞,杉江 秀 作曲)

一 アジアの東 日(ひ)出づるところ
  ひじりの君の あらはれまして
  古きあめつち とざせるきりを
  大御光(おほみひかり)に くまなくはらひ
  教(をしへ)あまねく 道(みち)明(あき)らけく
  治めたまへる 御代(みよ)たふと。
二 恵の波は 八洲(やしま)に余り
  みいつの風は 海原こへて
  神のよさせる みわざをひろめ
  民の栄(さか)行く 力をのばし
  とつ国々の ふみにもしるく
  とどめたまへる 御名(みな)かしこ
三 秋の空すみ 菊の香高き
  今日のよき日を 皆ことほぎて
  定めましける みのりをあがめ
  さとしましける みことをまもり
  代々木の森の 代々とこしへに
  仰ぎまつらん 大みかど



「愛知県護國神社 献燈祭」 明治天皇様 御製 祭祀舞『朝日舞』(愛知県名古屋 27/08/16)


明治天皇様 御製

さしのぼる 朝日の如く 爽やかに もたまほしきは 心なりけり

目に見えぬ 神の心に 通ふこそ 人の心の まことなりけれ


(思い)

本日、皇紀2677年・平成29年11月3日、 明治節は、 畏くも 明治天皇様が御生誕あそばされた吉き日でございます。

明治天皇様の御遺徳を偲びお祝い申し上げましょう。

先の大東亜聖戦の敗戦により、GHQにより明治節との名称は無くされました。現在は「文化の日」として残っておりますが、終戦より70余年の月日が過ぎた現在、戦前の四大節(読み:しだいせつ)(四方拝、紀元節、明治節、天長節)の名称が復活すべきであると思うところでございます。

明治天皇様の御遺徳は、日本を近代化へ誘い、欧米列強諸国と対峙すべく日本国家の基盤を築かれ、日清戦争に勝利、日露戦争に勝利した黄色人種が白人に勝利した歴史的事実は、現在、トルコに於いてはトーゴー通りやトーゴービールなどがあるようにロシアにより圧力を受けている国々に勇気と独立不羈をもたらしたと言えると思います。 

東郷平八郎・連合艦隊司令長官率いる艦艇が、日本海海戦(明治38年・1905年5月27日 - 28日によりロシアのバルチック艦隊を撃破したことは特筆すべきことであり、また、旅順攻囲戦(203高地攻撃)(明治37年・1904年8月19日 - 明治38年・1905年1月1日の日露戦争ではロシア海軍の基地のあった旅順港を巡る日露の争奪戦による激戦地となった場所)では、乃木希典大将はご自身の御子息二名も戦闘により亡くなられました。

乃木希典大将は、明治天皇様崩御により、大喪の当日、妻・静子さんと共に殉死されておられます。

明治時代の我が国日本に対する欧米列強諸国の圧力を撥ね退け、我が国日本の独立不羈を御護りあそばされた 明治天皇様の御遺徳を偲び、我が国日本の現在の状況を鑑み、國體を断固徹底護持し、國體を明徴せんとし、日本民族の民族自決を徹底護持し、領土領海領空を断固徹底護持せんとするは我ら日本民族に課せられた使命であると思うところでございます。

神州日本に、天地の神々、八百万の神々、皇祖皇宗の御神霊の御加護垂れ給わんことを御祈念申し上げます。

萬世一系乃皇統護持 旧宮家乃皇籍復帰

皇尊彌榮 皇御國彌榮



明治節 國士舘大学・國防部(明治神宮)

國士舘大学國防部http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2242.html




教育ニ関スル勅語(教育勅語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%8B%E9%96%A2%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%8B%85%E8%AA%9E

教育ニ関スル勅語(きょういくにかんするちょくご)は、 明治天皇様が山縣有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対し、教育に関して与えた勅語。以後の大日本帝國において、政府の教育方針を示す文書となった。一般的に教育勅語(きょういくちょくご)という。1890年(明治23年)10月30日に発布され、1948年(昭和23年)6月19日に国会の各議院による決議により廃止された。(抜粋編集転載)


明治神宮 教育勅語
http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html


朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ 修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無 窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日   御名御璽


五箇条の御誓文
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%AE%87%E6%9D%A1%E3%81%AE%E5%BE%A1%E8%AA%93%E6%96%87
五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)は、慶応4年3月14日[1](1868年4月6日)に 明治天皇様が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針である。正式名称は御誓文であり、以下においては御誓文と表記する。(抜粋編集転載)


明治神宮 五箇条の御誓文
http://www.meijijingu.or.jp/about/3-3.html


一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘ


(引用)
日本の歴史から学ぶ、日本人の精神性
日本人なら知らないと損する、世界を感動させた日露戦争と武士道精神 | 日本の歴史から学ぶ、日本人の精神性
http://kanouseiji.com/samurai/




 
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