非理法権天 ひりほうけんてん (敷島通信)

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

尊皇  座敷わらし・亀麿尊(緑風荘)  

まんが日本昔ばなし 「座敷わらし」
http://www.youtube.com/watch?v=RAGQUWSu9IY


座敷わらし 緑風荘 全焼
http://www.youtube.com/watch?v=_BY1GREAx3Q
0:22~座敷わらしの絵がまばたきする 


座敷わらしの瞬き
http://www.youtube.com/watch?v=jKbbefG-9Us&feature=related



座敷わらしで有名な岩手県・金田一温泉・緑風荘が全焼した。

座敷わらしが新築を希望したのだろうか。

緑風荘に坐す座敷わらしは尊皇の系譜を引くといえよう。

ウィキによると緑風荘に坐す座敷わらしは亀麿と言い、南北朝時代の南朝の武将で東北地方・岩手・金田一に落ち延び、その武将の子が金田一で「末代まで家を守り続ける」と言い亡くなったと記載されている。

南朝といえば 後醍醐天皇様、そして 後醍醐天皇様に殉じ湊川で七生報國(七度生まれて國に報いる、朝敵を滅ぼす)を誓って殉節された楠木正成公の尊皇の至誠に思いを馳せることは至極当然である。

楠木正成公の「七生報國」と座敷わらし・亀麿尊の「末代まで家を守り続ける」との冥府に旅たつ前の言葉は南朝・尊皇の士として相通ずるものを感じる。

楠木正成公の七生報國が維新の志士の精神的原動力になり明治維新を成し遂げ、先の大東亜戦争では多くの日本民族の先人が七生報國を思い散華され、また終戦後自決され、戦後は七生報國を思い、山口二矢烈士、三島由紀夫烈士などが國を憂い自決された。

その南朝の尊皇の武将の子が緑風荘の座敷わらし・亀麿尊である。

幸いにも亀麿神社は焼失を免れたということなので新たに緑風荘は建築されるのだろう。

尊皇の系譜を脈々と現代に受け継ぐ座敷わらし・亀麿尊の御神威更に増し、尊皇の意気・系譜を現世に顕在化され、日本民族を御守護垂れ給わんことを御祈念申し上る次第でございます。

ちなみに中部地方では座敷わらしは聞いたことがありません。



・亀麿会http://www8.plala.or.jp/kamemaro/index.html

・緑風荘(ウィキ)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91%E9%A2%A8%E8%8D%98

沿革
1300年(南北朝時代)、南朝の武将が北朝(足利尊氏)方との戦いに敗れ落ち武者となり、奈良から東京都あきる野市(五日市町)に落ち延びこの地名を名字とした。

しかし、この地は関東の勢力範囲内でそこからさらに南部藩(金田一)に落ち延びる。

この時6歳と4歳の男の子がおり、金田一までたどり着くと同時に兄の亀麿(かめまろ)は病にかかり死去する。死の床で「末代まで家を守り続ける」と言い息を引き取った。

この亀麿の霊が奥座敷「槐の間」に棲みつき『家の守り神』となり、時々客人に姿を見せたりいたずらをするようになったと言い伝えられている。

この部屋に泊まり、座敷わらしに出会えると驚くほどの幸運に恵まれ男は出世し、女は玉の輿にのると一般的に言われている。





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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=979790&media_id=2
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