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非理法権天 「敷島通信」山下俊輔(山下しゅんすけ) 起きる会 代表

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

端午の節句 時差+2日にて失礼します  


画像:三上卓先生




(端午の節句にちなんで  時差+2日にて失礼します)

・今から約2300年前の支那

・楚(そ)の国の国王の側近に、屈原(くつげん)(前340頃~前278頃)という政治家がいた。 詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情は強く、人々の信望を集めていた。

・屈原は陰謀によって失脚し、国を追われた。

・故国の行く末に失望した屈原は、他の国に仕えることをせず、祖国の滅亡の危機を憂いながら洞庭湖畔汨羅(べきら)の川に身を投げた。

・楚 の国民達は、小舟で川に行き,太鼓を打ってその音で魚をおどし,さらにちまきを投げて,「屈原」の死体を魚が食べないようにした。

・これがちまき(肉粽=ローツ ォン)の起源。このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広がっていった。

・国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行った。

・その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われている。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本にも伝わって来た。

(ネット上より抜粋要約 錯誤あればご指摘下さい)

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端午の節句の「ちまき」は屈原に由来する。五・一五事件の三上卓先生「青年日本の歌」はこの故事を冒頭に引いている。


(青年日本の歌 一番)
汨羅の渕に波騒ぎ
巫山の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く


(見解)
支那は過去に憂國の士が存在し、その文化の一端が日本にも伝来している訳であるが、現在の支那にはその様な殺身成仁なる行動が日本から見ていると微塵も感じられない。

私は支那の民主化革命を強く望む。

中国共産党の諸々の行いは日本、東アジア、チベット、東トルキスタンにとっては大きな問題である。

支那人民は歴史に耳を傾け自ら中国共産党を壊滅させる事は、支那人民のみならずアジア、世界にとって急務であると思う。

日本では端午の節句に於いて「憂國の志」を固く心に刻む事も必要ではないかと思う。

日本の政治家は身を殺してでもという意識の元に、日本の為に行動しているのであろうか。
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