12・8國憂ひ自決された日本民族、杉田智烈士(享年22)の壮挙におつるさん、思いを述べる

尊皇至誠 國體護持 忠烈勇武


殉皇、殉國、自決・杉田智烈士ノ御魂、神州日本、日本民族ヲ守護セリ

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ひふみよい むなやこと もちろらね しきるゆゐつわぬそを たはくめか うおゑにさ りへ てのますあせえほ れけ

瀛都鏡 邊都邊 八握生剣 生玉 死反玉 足玉 道反玉 蛇比禮 蜂禮 品品物比禮 

一二三四五六七八九十
布留部 由良由良止 布留部



皇紀2671(平成23)年12月8日、石川県護国國神社境内、清水澄博士顕彰之碑の前で、國憂ひ自決された皇御國の臣民・日本民族、杉田智(さとし)烈士(享年22)の壮挙におつるさん、思いを述べる

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清水澄博士顕彰之碑


大学生22歳烈士憂国割腹自刃じじん
http://www.youtube.com/watch?v=OxQBKkJohNs&feature=player_embedded

自決された杉田智烈士に思いを馳せ、國護る意気、更に魂に刻むおつるさんと日本民族の有志の皆さん

おつるさんブログ
大東亜戦争開戦日 大学生22歳烈士憂国割腹自刃石川県護国神社
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/2048/2011/12/8


↓杉田謙一氏ブログより転載
http://plaza.rakuten.co.jp/seimeisugita/diary/201112140000/
杉田智烈士の自刃現場に額づきて

石川護国神社での決起青年のことを杉田烈士とおよびになってみえる方がみえる。まさにその通り。並みの人では決してないことを実感した日であった。

朝8時に岡崎を出る。岡崎駅で待ち合わせの友が急遽参加できない旨の知らせがあり残念ながら一人で東名に乗り、春日井で降りる。他の待ち合わせのT氏宅にいそぐ。

後、2名に声をかけたが、時間が許さず、結果2名で石川に向かって走った。

まず花屋に寄り店員に花束を作っていただき、ついでながら、自決青年の事を聞くと、「ああ、新聞で読みました。金大(きんだい)の学生さんですね。大変残念です。あれほど賢い大学の方が。びっくりしました。良くお越しくださいました。」礼儀正しく言葉も丁寧な方であり、金沢の風情・もてなしの心遣いを感じる。

心のひだに染みるやさしい言葉に、金沢の女性の美しさを感じた。金大はすぐですよと、地図まで書いてくださった。

礼をいい、小雨のばらつく中、金大へと走る。

学生に学生課の場所を聞きながら故杉田氏のことを「お亡くなりになった大学四年生のことはご存知ですか」聞くと、不思議なことに、「あの屋上で亡くなった方ですか」と言う。不思議な話だ。

別の学生も亡くなられたのか、彼の勘違いか、そのように伝えてあるのか、不明であったが、時間がなく、礼をいい、事務所へ。

事務所にて、指導教官に会わせて頂けないかと頼んだが、3名で協議された後「事が事だけに、ご家族の方にしかお話できません」との返事。

残念であったが、また日を改めていつか再訪したい。

きれいな、広大なキャンパス。ここで杉田さんは学ばれていたのか。

学生さんと事務職員の方が別様で話されていたのを見たが、とてもフレンドリーな会話の様子であり、ああ、こうした環境で学ばれていたのかと、自決の覚悟の気高さと大学の日常とのギャップに違和感をも感じた。

急ぎ護国神社へ。

ついたのは2時少し前。

昨日、名古屋の護国神社のU宮司先生に連絡を入れていただいていたので、お二人からお話をいただけた。

自決の場所は清水澄博士の碑の前。

石階段の上。

自決後のお姿は仰向けで頭を碑の方に足を石階段のほうに向けてみえたと伺う。

靴は履いてみえなかったときく。

国旗はぬれないように透明のシートで覆ってあったという。

茶色の傘が開いておいてあったそうだ。

小雨の中での自決であったようだ。

頚動脈を切られ、古式にのっとり覚悟の自決。

生半可な覚悟で出来るものではないとおっしゃる。

M先生に突然お電話してたところ駆けつけていただき合流して自決場所の清水先生碑の前でご冥福を祈る。

すでに多くの花束が備えてある。

花束には「志を無にせず後は私どもが」、などのメモが入っているものも。

うれしかった。

用意してきた献花台に白布を敷き皆さんの尊い志と花束を乗せ、私どもの花束も置き、手を合わせた。

神社に断りをいれ、台を寄贈、後の皆さんのためにお使いくださるようにお願いした。

私どものおる間だけでもお二人の地元の方がお見えであった。

その方に伺うと昨日も何人かが訪ねて参拝されていたという。

杉田烈士の遺書があると聞いているが、許されるならぜひ公開いただきたいものであります。

たとえ公開なくともその想いは明らかでありますが。

清水先生の前を選んで自決されたわけですから。
 
占領憲法に体をぶつけてお亡くなりになられた先生に命を預けられたのです。 
 
この日本国憲法は死しても受け入れるべきものにあらず。

自主独立を速く成せと日本人への身を賭した叫びであるのは間違いなきことです。

この碑は長年金沢工業大学の学生たちが長年お祭りを続けて、後に北陸大学の皆さんの手にゆだねられてきたと聞きます。

終戦60年ころから一区切りにされたのか、毎年の祭礼は途絶えていると聞きました。

ぜひ再興していただきたいものです。

某新聞社は自決の場所を大東亜戦争聖戦大碑の前と報じました。

関連付けてイメージを損なわせようとしているのではとも感じます。

しかし自決場所が清水先生の碑前であったことを確認でき、その想いが純粋に学徒として、憲法の是正(改廃)にあったことを確認できたことは意義深いものでありました。

ちなみに大碑の反対運動を以前金大学生が行なっていたとも聞きました。

もうなくなったようですが。

彼等の反対の主張が命の叫びではなかったこと、一部の議員らによる反対運動も、死を持って体当たりされた杉田烈士に遠く及ばないことも実感いたしました。

おそらく烈士の行為を狂人のものと語るものも現れましょう。


三島義挙に際して時の防衛庁長官中曽根康弘は「狂気の沙汰」と談じたことは忘れえません。


なかったことにしたいものも多くでることでしょう。

しかし、今の日本の危機に何が成されねばならないか。
病める日本に何をもって豊な香りを取り戻そうとするのか。


心を砕くものにとって下劣な評価などとるに足らないものであることは分かりきったことです。

烈士の魂が天駆け、国家防衛の御霊として日本をお守りくださることを願い、残されたものは烈士の思いを背負っていくことをお誓いし、石川を後にいたしました。

↑転載ここまで


憂國烈士自決
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