寬仁親王殿下薨去に際し、6月8日の名古屋の官庁街の様子

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畏れ多くも 寬仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)に於かれましては、皇紀2672年6月6日、薨去(こうきょ)あそばされました。
御神霊とおなりあそばされた御魂靖からんことを謹んで御祈り申し上げます。


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宮内庁
寬仁親王邸における一般記帳者の弔問記帳について
    http://www.kunaicho.go.jp/news/tyoumonkityou.html一般記帳者の弔問記帳 
(1)日時平成24年6月7日(木)午前10時から午後7時まで翌日以降は当分の間,午前9時から午後7時まで 
(2)記帳所寬仁親王邸内仮設テント 
(3)入退出門徒歩にて南門から入門し,南門から退門する※駐車場の用意はありません 
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愛知県
寬仁親王殿下追悼記帳所の設置について
http://www.pref.aichi.jp/0000051853.html
本県においては、寬仁親王殿下の追悼記帳を希望する県民の方々の便宜を図るため、下記のとおり記帳所を設けることといたしました。                                         記
1 設置期間  6月7日(木)から当分の間
2 受付時間  午前9時から午後5時まで  但し、
   6月7日(木)は午前10時から午後5時まで
3 場  所(1)平日   県庁本庁舎正面玄関
(2)土曜日及び日曜日   県庁本庁舎南玄関
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「斂葬(れんそう)の儀」 
宮内庁は7日、薨去あそばされた寬仁親王殿下の本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」を、14日午前10時から、東京都文京区大塚の豊島岡墓地で営むと発表した。墓も同墓地に建設される。喪主については寬仁親王殿下の御遺志をふまえて御両親の崇仁親王同妃両殿下が検討され、長女の彬子女王殿下が務められることが決まった。喪儀(葬儀)委員長は、宮内庁の河村武和式部官長が務める。(産経新聞 一部編集加筆)
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皇紀2672年6月8日、名古屋市中区丸の内の官庁街の様子。  


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弔旗を掲げる愛知県庁正面玄関

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弔旗を掲げる愛知県庁正面玄関

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弔旗を掲げる愛知県庁正面玄関 
 
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半旗を掲げる愛知県庁屋上  

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弔旗を掲げる名古屋市役所正面玄関  
 
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弔旗を掲げる名古屋市役所正面玄関  
 
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半旗を掲げる名古屋市役所屋上 

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半旗を掲げる名古屋高等裁判所・名古屋地方裁判所 

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半旗を掲げる名古屋簡易裁判所

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通常の国旗掲揚の名古屋合同庁舎第2号館(国交省・中部地方整備局、人事院中部事務局、中部管区行政評価局、公正取引委員会事務総局中部事務所)
国の機関が入るビル

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半旗を掲げる名古屋合同庁舎第1号館(東海防衛支局、名古屋法務局、中部運輸局)
国の機関が入るビル

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半旗を掲げる愛知県自治センター

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通常の国旗掲揚の財務省・東海財務局 
(駐名古屋支那総領事館による国有地・名城住宅跡地取得要望取扱行政機関) 

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半旗を掲げる愛知県庁・西庁舎

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弔旗を掲げる名古屋市役所・西庁舎

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弔旗を掲げる名古屋市役所・西庁舎
 
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半旗を掲げる愛知県警察本部庁舎
       
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半旗を掲げる愛知県三の丸庁舎
          
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通常の社旗掲揚の中日新聞社。
支那共産党の情報宣伝部と言われても抗弁の余地がない中日新聞社に、そもそも日本国の国旗が掲げられることは未来永劫ないだろう。(疑義がございますならば、日本国国旗を掲げ、支那共産党によるチベット、ウイグル、南モンゴルの虐殺・拷問・弾圧・民族浄化を掘り下げて報道してみればどうだろうか)。
仮に日本国が、支那共産党の統治下などになれば、中心のポールに高らかと支那赤旗・五星紅旗を中日新聞社は進んで必ず掲げるだろう。  

 
(思い) 
6月8日、愛知県、名古屋市の行政機関の建物は全て弔旗、半旗が掲げられていた。 
 
6月10日まで愛知県・名古屋市の行政機関は、弔旗・半旗とのことだったようで、 推測ではあるが、 天皇陛下の喪に服される期間に準拠されたものと推察する次第でございます。 
 
しかし、6月8日、国の機関で中部地方整備局などが入る名古屋合同庁舎第2号館と財務省・東海財務局の二か所だけは通常の国旗掲揚であった。
 
東海財務局に「弔旗・半旗を掲げないのですか」と聞くと、「本省から指示がないから」との返答であったので、財務省に聞くと、「内閣官房に聞いて下さい」というので、内閣官房に聞くと、「宮内庁に聞いて下さい」というので、宮内庁に聞くと、宮内庁・秘書課は、「弔旗・半旗を掲げるよう指示はしていない」 とのことであった。 
 
「6日は弔旗・半旗を掲げる指示をした。14日に同じく指示をする」とのことであった。 (追記)宮内庁・総務課によると閣議決定で、14日は弔旗・半旗ということに決まったとのことで、だから6日に財務省本省の国旗が通常であるとの画像がネットに掲載され、物議を醸していたのかと今、ようやくその原因がそういうことかと推認する。8日には宮内庁はそんなこと一切言ってなかったが、どうなっているんだろう?(追記ここまで)

 
私は「名古屋の官庁街で、愛知県、名古屋市の行政機関は全て弔旗・半旗なので、弔旗・半旗を掲げる指示をされてはどうでしょうか」との意見を言った。 
 
また、「国の機関でも東海防衛支局・名古屋法務局・中部運輸局が入っている建物は半旗ですし、名古屋の官庁街で、二か所、東海財務局と国交省・中部地方整備局の入っている合同庁舎だけが半旗ではない状態なので、半旗にされてはどうなんでしょうか」というと、「指示はしないが、国の機関が弔旗・半旗を掲げるのは自由」とのことであった。 
 
愛知県と名古屋市の地方公共団体が、率先して、弔旗・半旗を掲げているが、日本国の国の機関は弔旗・半旗をかかげることは自由で、指示は6日・14日以外はしないとのことであった。 
 
また、今までの前例にならって、弔旗・半旗の指示は6日、14日以外はしないと宮内庁・秘書課は言っていた。 
 
愛知県と名古屋市の場合ではあるが、国よりもより御皇室を思う行政機関であるとの思いを感じたのは日本民族万民がおもうところではないのだろうか。
 
こういうところにも、日本政府の 御皇室軽視が表れているのだろうかと感じた。
 
弔旗・半旗でいえば、地方公共団体・愛知県と名古屋市と日本政府が逆転現象を起こしていると思った。 
 
一事が万事、日本政府の日頃の 御皇室軽視、国護る気概なき日本国軽視、日本民族浄化政策執行の日本民族軽視の体質が現れたというところなのだろうか。 
 
女系天皇なる偽天皇を擁立せんとあきらめずにしつこく画策する日本政府であるが、この策謀に以前湧きおこった皇室典範改正法案成立に疑義を申し立て、臣民も発言すべきと御皇室の問題に臣民が発言することを躊躇する御皇室を尊ぶ臣民の肩をドンと押して頂いたのは、紛れもなく寬仁親王殿下でございました。 
 
その時、寬仁親王殿下御自らが前面に出られて思いを述べられたことは、その後の萬世一系の皇統護持の流れが一気に噴出したそもそもの起因となったのではないかと感じております。 
 
三笠寬仁親王殿下の皇室典範改正問題に関するエッセーを報じる新聞記事の比較について
http://hanatatibana.cocolog-nifty.com/hibizakkan/2005/11/post_004e.html
 
寬仁親王殿下の御発言に対して、苦言を呈したのは、当時の宮内庁長官・羽毛田氏http://asahi.kirisute-gomen.com/kouzoku.html、当時・宮内庁次長で現・宮内庁長官の風岡氏http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-249.htmlであった。 
 
その発言の本旨は、「喋るな」ということ、要は女系天皇なる偽天皇擁立の邪魔をするなということと推認した。
 
また、当時、皇室典範に関する有識者会議・座長の吉川弘之氏は、寬仁親王殿下の御発言に対して、「どうってことはない」http://sakura4987.exblog.jp/2991067/と言い、極左・朝日新聞も紙面http://asahi.kirisute-gomen.com/kouzoku.htmlで、寬仁親王殿下が御発言されたことを批判していた。 
 
これらのことを鑑がみると、日本政府は、そもそも 御皇室に対しての尊崇の念は軽薄であると考えられる。  
 
皇御國の臣民が身を挺して、御皇室を御護りする意識は常に必要であると感じるし、現に日本民族の先人、和気清麻呂公は皇統護持のために配流となり、また、蒙古襲来の国難の時、国体護持を体現された数多鎌倉武士の先人の殉國の荘挙、先の大東亜聖戦での国体護持を体現され冥府に旅立った数多日本民族の先人。現下の日本民族も国体護持、萬世一系の皇統護持に一身を挺することは、日本民族の使命、宿命であると考える。我々、現下の日本民族も一旦緩急ことあれば、勇猛果敢、忠烈勇武、散華も辞さずの心意気で物事に当たるべきである。
 
寬仁親王殿下に於かれましては、萬世一系の皇統護持に果敢に御発言、御活動なされたことは、何と申してよろしいのでしょうか、不敬な言葉使いかもしれませんが、「本当に有難うございました」と最敬礼し、申し上げたいとの思いが、込み上げざるを得ないところでございます。 
 
「本当に有難うございました」 
 
御神霊におなりあそばされました寬仁親王殿下の御魂靖からんことと、皇御國と皇御國の臣民を何卒御護り頂きますよう謹みて御祈念申し上げます。 
 

 


私が、 すめらぎを思ふ心は天に通じるのだろうか

私が、 皇御國を思ふ心は天に通じるのだろうか

敷島の大和の國に朝露の様に落ちえた一瞬のこの命は
 
すめらぎ 皇御國のためにあるのだろう
 
 
 
 
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