寬仁親王殿下の御魂坐す豊島岡墓地正面入り口前で拝礼させて頂きました。

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寬仁親王殿下(ともひと しんのうでんか)



皇紀2672年6月15日、畏くも 寬仁親王殿下の御魂坐す豊島岡御墓所・正面前歩道で謹みて拝礼させて頂きました。

御神霊とおなりあそばされました寬仁親王殿下の御魂靖からんことと、皇御國と皇御國の臣民を何卒御護り頂きますよう、萬世一系の皇統を何卒御護り頂きますよう謹みて御祈念申し上げさせて頂き、萬世一系の皇統を護持なされんと、御発言、御活動なされたことに、畏れ多くも深い感謝の意を念じさせて頂きました。(文中、不敬あれば何卒ご容赦下さい)
 
そして、「ひふみの祓い」「十種神宝」「ふるべの祓い」を静かに唱えさせて頂きました。 
 
  
ひふみよい むなやこと もちろらね しきるゆゐつわぬそを たはくめか うおゑにさ りへ てのますあせえほ れけ

沖津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 死返玉 足玉 道返玉 蛇比礼 蜂比礼 品物之比礼

一二三四五六七八九十
布留部 由良由良止 布留部


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祝詞「十種大祓」(とくさのおおはらい)
http://www.youtube.com/watch?v=UlTwdUghVzs



物部神社 鎮魂祭
http://www.mononobe-jinja.jp/festival/
 

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豊島岡御墓所・正面 
豊島岡墓地(としまがおかぼち)は、東京都文京区大塚五丁目にある、皇族(天皇・皇后を除く)専用の墓地である。護国寺に隣接する。通常「豊島岡御墓所」と呼ばれている。(ウィキ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E5%B2%A1%E5%A2%93%E5%9C%B0 
 
 
宮内庁
故寬仁親王墓一般参拝の実施について
http://www.kunaicho.go.jp/news/sanpai.html
場所 豊島岡墓地(東京都文京区大塚5丁目)(最寄り駅は,地下鉄有楽町線「護国寺駅」)
月日 平成24年6月17日(日)~6月18日(月)の2日間
参入時間 豊島岡墓地正門から 午前10時~午後3時
※(1)ご供花,お供物等は,一切お受けしません。
(2)駐車場の用意はありませんので,地下鉄等公共交通機関をご利用ください。
 
  
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斂葬の儀 寬仁親王殿下に最後のお別れ
産経新聞
2012/06/14 12:03
寛仁さまの「斂葬の儀」に参列する野田佳彦首相=14日午前、東京都文京区(鈴木健児撮影)
寛仁さまの「斂葬の儀」に参列される皇太子ご夫妻=14日午前、東京都文京区(鈴木健児撮影)
寛仁さまの「斂葬の儀」に参列される喪主の彬子さま、瑶子さま、皇太子さま、雅子さま、眞子さま(右から)=14日午前、東京都文京区(鈴木健児撮影)
喪主で長女の彬子さま=14日午前、東京都文京区(鈴木健児撮影)
赤坂御用地を出発される葬儀列と手を合わせる沿道の人々=14日午前、東京都港区(桐原正道撮影)
多くの皇族方や麻生太郎元首相らに見守られ豊島岡墓地の斎場に到着した霊車=14日午前、東京都文京区(鈴木健児撮影)
多くの皇族方や麻生太郎元首相らに見守られ豊島岡墓地の斎場に到着した霊車=14日午前、東京都文京区(鈴木健児撮影)
豊島岡墓地に向かう、寛仁さまのご遺体を乗せた霊車=14日午前、東京都文京区(古厩正樹撮影)
赤坂御用地を出発される葬儀列と手を合わせる沿道の人々=14日午前、東京都港区(桐原正道撮影)
寛仁さまの斂送の儀に参列されるため赤坂御用地を出発される皇太子さまご夫婦=14日午前、東京都港区(桐原正道撮影)

 晴れ間ものぞいた豊島岡墓地で、寬仁(ともひと)親王殿下の長女、彬子女王殿下は気丈に喪主を務められた。

14日朝から営まれた「斂葬(れんそう)の儀」。

同墓地では、寬仁親王殿下に最後のお別れをするため、一般拝礼が開始される午前11時40分の前から、多くの一般の人たちも長い列をつくった。

 この日は午前9時から東京都港区の赤坂御用地にある寬仁親王邸で「霊車発引の儀」が行われ、ひつぎが車に移された後、皇宮警察が演奏するショパンの葬送曲に送られて車が出発。親王邸前では、約50人の職員らが涙を浮かべて見送った。
 寬仁親王殿下が学習院初等科に通われていた際に侍女として仕えた神奈川県逗子市の庄司栄子さん(80)は、寬仁親王殿下が地理に不慣れな庄司さんに優しく道を教え、時には重い荷物を持ってくださった思い出を話し、「とてもお優しい方でした。

本当に残念でなりません」と目頭を押さえた。

 霊車は白バイとサイドカーに守られながら、車は首都高速道路を通り、約30分かけて同墓地へ。車列が出た赤坂御用地の巽門や、沿道には多くの人が集まり、手を合わせて見送った。

 皇居・大手門前では宮内庁職員やOBらが見送った。

寬仁親王殿下のご結婚時にティアラの作製に携わったという宮内庁OBの玉生一美さん(62)は「訃報(ふほう)に驚いたし非常に残念。安らかにお眠りください」と言葉少なに話した。

寬仁さま しめやかに「斂葬の儀」
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車が豊島岡墓地に到着すると、荘厳な雅楽の葬送曲が演奏される中、相馬和胤司祭長らによる徒歩の先導で、車は参列者席の間の砂利道を静かに進んだ。

車の後ろには喪主の彬子女王殿下、次女の瑶子女王殿下と皇族方が続き、参列者は起立して見守った。車が幔幕(まんまく)(黒い幕)が下がる葬場前に横付けされると、ひつぎは喪(そう)輿(よ)(みこし)に移され、安置された。

 続いて拝礼が行われ、寬仁親王殿下のご遺志を受けて喪主を務められた長女の彬子女王殿下は、黒いベールの下で沈痛な表情を浮かべられていた。

 墓地では、スキーを通じて寬仁親王殿下と知り合い、昭和54年に一緒に北アルプス・剣岳に登ったという富山県富山市の高塚武由さん(70)は「殿下が頂上で『おれたちは同じ釜の飯を食った永久の友達』だと言ってくださったのが忘れられない思い出です」と声を詰まらせた。(一部加筆編集)

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寬仁親王殿下
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