非理法権天 ひりほうけんてん (敷島通信)

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂


東日本大震災二周年 
皇紀2673年(平成25年)3月11日 
黙祷14時46分
鎮魂




皇紀2671年(平成23年)3月16日午後4時35分

宮内庁:東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)
この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。

地震や津波による死者の数は日を追って増加し,犠牲者が何人になるのかも分かりません。

一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。

また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ,関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在,国を挙げての救援活動が進められていますが,厳しい寒さの中で,多くの人々が,食糧,飲料水,燃料などの不足により,極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。

その速やかな救済のために全力を挙げることにより,被災者の状況が少しでも好転し,人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。

そして,何にも増して,この大災害を生き抜き,被災者としての自らを励ましつつ,これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。

今回,世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き,その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては,この深い悲しみの中で,日本人が,取り乱すことなく助け合い,秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。

これからも皆が相携え,いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。

被災した人々が決して希望を捨てることなく,身体からだを大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
 

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↑この再投稿された動画は、南三陸ではなく陸前高田ではないかと思いますが、定かではありません。 

 
 
皇紀2671年(平成23年)3月11日14時46分、未曾有の大地震が東日本を襲った。

私は、東京・永田町の某所にいて、震度5強の強い揺れを生まれて始めて体験した。

前方、ステージがゆらゆらと揺れだしたかなと思い、すぐ揺れは収まるだろうと思っていると、ゆらゆらと続き、次にいきなり大きな横揺れに変わった。

これは尋常な揺れではないと思っていると少し小さくなったかと思ったら、また激しく横に揺れだしたので、建物の中から外へ出た。

外にはすぐ近くに国会議事堂が見える。

地面がゆらゆらと揺れ続けていた。

一度、揺れが止んでから、次にドンと下からの縦揺れが始まった。

軒が縦に揺れ、車が揺れていた。

ほどなく強い揺れが終わると、余震が何度も何度も続いていた。

携帯から、地上波を見ると、海岸沿いの魚市場のような建物に津波が押し寄せている映像が映し出されていた。

これは、今までに見たことのない尋常ならざる状況であると思った。

余震の続く中、都内某所に移動した。

そこで地上波を見ると、仙台市名取川河口付近で、凄まじい津波が、家屋、田畑、車両を飲み込んでいく映像が流れていた。

何だこれは、この世のものではないではないか、と思った。

余震は続いていた。

帰宅しようと思って、外を見ると車は大渋滞で、動いていなかった。

仕方なく、とりあえず東京駅まで徒歩で行こうということにした。

歩道を人が列をなして歩いていた。

何か食べておこうかと思って、飲食店を見ると閉まっていた。

コンビニには、食料は売り切れで何もなかった。

薬局に行くと、カロリーメイト、ポテトチップが売っていたので、飲料と共に、一日は持つだろうと思える最低限を買って、東京駅に向かった。

東京駅は、多くの人が、床に腰をつけて座っていた。

東海道新幹線を見ると、なんと走行していたので、帰れると思った。

新横浜までは座席がなく立っていたが、新横浜で人が結構降りたので、座れた。

新幹線は新横浜までは、ゆっくりと走行していたが、新横浜を越えると、通常の走行となったと記憶する。

あの東京の人口の多い中人工構造物のビル群の中で、水と食料が遮断された時、どうなるのだろうと、ふと思った。

帰宅困難者になりかかったが、その日のうちに名古屋に到着することが出来たことは有り難いことであった。

あれから、二年の月日が経つ。

震源地に近いところの揺れは、立っていることもままならない状態ではなかったかと推察致します。

動画で見る、仙台市名取川河口付近、陸前高田、南三陸町などの津波は、この世のものではない。

予期もせず、一瞬に家族、友達、大切な人を亡くされた方々、家を無くされた方々の心を慮る時、どう表現すればよいのかは分からない。

東日本大震災二周年に於いて、14時46分には、鎮魂の黙祷を謹んで捧げさせて頂こうと思うところでございます。

東日本大震災で亡くなられた方々の御魂靖からんことを心よりお祈り申し上げます。

また、被災地の復興を心より御祈念申し上げます。

 
皇紀2673年(平成25年)3月11日

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