非理法権天 ひりほうけんてん (敷島通信)

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

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第125代 天皇
御名前        明仁(あきひと)様
幼少時の御称号  結婚前の御名前  継宮(つぐのみや)様
続柄          昭和天皇の第一皇男子 
生誕年月日     皇紀2593年(昭和8年)12月23日
御印          榮(えい) 


 
東日本大震災追悼式 天皇陛下のおことば全文 
皇紀2673年(平成25年)3月11日14時56分 
国立劇場(東京都千代田区隼町4-1)



 本日、東日本大震災から2周年を迎えるに当たり、ここに一同と共に、震災によりかけがえのない命を失われた多くの人々とその遺族に対し、改めて深く哀悼の意を表します。

 2年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う大津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。

震災後に訪れた被災地では、永年(ながねん)にわたって人々が築いてきたふるさとが痛々しく破壊されており、被災者の悲しみはいかばかりかと察せられました。

一方、この厳しい状況の中、被災地で、また、それぞれの避難の地で、気丈に困難に耐え、日々生活している被災者の姿には、常に深く心を打たれ、この人々のことを、私どもはこれからも常に見守り、この苦しみを、少しでも分かち合っていくことが大切だとの思いを新たにしています。

 この度の大震災に際して、厳しい環境の下、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、多くのボランティア、そして原発事故の対応に当たった関係者の献身的な努力に対し、改めて深くねぎらいたく思います。

 諸外国からも実に多くの善意が寄せられました。物資や義援金が送られ、また、救援の人々も多数来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使など日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後の日本を訪れる多くの外国人が、被災地に赴き、被災者を励ましてくださっていることに感謝しています。

 この度の津波災害において、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、これから育つ世代に伝えていくことが大切と思います。

今後とも施設面の充実と共に、地域における過去の災害の記憶の継承、日頃からの訓練と教育などにより、今後災害の危険から少しでも多くの人々が守られることを期待しています。

危険な業務に携わる人々も、この度の経験をいかし、身の安全が確保されることに工夫と訓練を重ねていくよう願っています。

 今なお多くの苦難を背負う被災地に思いを寄せるとともに、被災者一人びとりの上に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。



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東日本大震災二周年追悼式

開催日時:平成25年3月11日(月)午後2時30分から
開催場所:国立劇場(東京都千代田区隼町4-1)

14:40 天皇后両陛下御臨席
 開会の辞
 国歌斉唱
14:46 黙祷
 式辞(内閣総理大臣)
 天皇陛下のおことば
14:58 追悼の辞
 ・衆議院議長、参議院議長、最高裁長官
15:10 ご遺族代表のことば(岩手・宮城・福島各1人)
 天皇皇后両陛下御退席
 献花
16:15 閉会の辞(引き続き一般献花)

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大川小学校(宮城県石巻市釜谷山根1) 
・児童108名中70名死亡 4名行方不明2(平成24年1月23日現在)
・教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明
・スクールバスの運転手死亡

 
 
84人死亡・不明の大川小、三回忌法要 喪失感抱え
日本経済新聞 2013/3/4 3:30

 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の三回忌の合同法要が3日、同市内の斎場で営まれた。2年生の長男を失った父は今も埋めがたい喪失感を抱えたまま。犠牲になった同小教諭の妻はこの日に先駆け、夫が担任していた児童の家庭を初めて弔問した。

 この日午後2時半に始まった法要には、遺族や学校関係者ら300人以上が参列。千羽鶴を手に来場する人もいた。

 参列した遺族らによると、校章をかたどった花が祭壇に飾られた。地震発生時刻の午後2時46分に合わせて全員で黙とう。6年生の次女、みずほさん(当時12)を亡くした佐藤敏郎さん(49)は遺族を代表し「悲しみは消えないが、皆様に支えられ、少しずつでも進んでいきたい」と述べた。

■小2男児の遺族「空白埋まらない」 思い出の釣りに涙


津波で亡くなった佐藤来旺君の釣りざおを手にする功基君と伸也さん(1日、宮城県石巻市)

 石巻市の会社員、佐藤伸也さん(40)は大川小2年だった長男、来旺(らいお)君(当時8)を亡くした。名前通り、好奇心旺盛だった息子。父の心にはぽっかりと穴が空いたままだ。

 昆虫、ドジョウ、ザリガニ……。生前、来旺君は近所の山や沢を駆け回った。捕虫網を持って登校し、長靴を履いても中まで泥だらけで帰った。

 釣り好きの佐藤さんの影響で2歳で釣りを始めた来旺君。震災直前の一昨年2月、親子は岸壁で根魚を狙った。「パパのような釣りがしたい」。息子に請われ、さおの操作を手ほどきした。「息子であり友人だった」。

 来旺君を失い、海に向かう気になれなかったが昨年1月、弟らに連れられ釣りを再開。しかし、釣り糸をたれると親子で釣果を競った思い出が巡る。「なんで隣にいないんだ」。釣り上げた瞬間、涙が出た。

 だが立ち止まっているわけにいかない。「つらさばかり見せてもこの子がかわいそう」。そう言って、わんぱく盛りの次男、功基君(4)を見つめた。いつか「3人」で釣りに行く日を夢見る。

■死亡教諭の妻、犠牲の児童宅弔問 「少し勇気出せた」

 「少しだけ勇気を出せた」。大川小で亡くなった佐々木孝教諭(当時37)の妻、かおりさん(39)は2月、孝さんが担任していたクラスで犠牲になった児童の家庭に震災後初めて連絡を取った。13人の遺族が訪問を受け入れ、かおりさんは霊前に手を合わせた。

 かおりさん自身も石巻市の中学校の教員。「犠牲になった児童への責任を考えると、夫の死をストレートに悲しめない」。負い目を感じ、職場での何気ない会話で笑うことすらためらう日々。「このままではいけない」と思いつつ、遺族と向き合えなかった。

 三回忌を前に、気持ちを奮い立たせて始めた訪問。玄関に立つたびに体がこわばったが、多くの家庭で「来てもらって心が少し軽くなりました」と温かい言葉を受けた。「孝先生に」と子供の仏壇から供花や菓子を分けてくれた家族もいた。

 「もっと早く行くべきだった。2年もたってしまい、遅すぎたと思う」と悔やむ。

 まだ訪問を受け入れられない家族もいるが「少しずつでも皆さんの気持ちに近づけたら」と願っている。

 ▼石巻市立大川小学校 海岸から約5キロにあり、東日本大震災の発生から約50分後、津波に襲われた。市教育委員会などによると、津波の直前まで児童らは学校の敷地内に待機していた。保護者からの要望に応じ、国の主導で事故検証委員会が発足。年内に報告を取りまとめる方針。
 
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【東日本大震災】
【大震災被害者数】(平成25年3月8日現在)
死亡確認15,881人
行方不明者2,668人
避難・転居者315,196人



東日本大震災で亡くなられた方々の御魂靖からんことを謹みてお祈り申し上げます。

被災地の復興がなされますよう謹みてお祈り申し上げます。

神州日本不滅也

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