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非理法権天 ひりほうけんてん (敷島通信)

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

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二・二六決起 坂井直・陸軍中尉(銃殺刑死)の墓参
決起から82年 皇紀2678年・平成30年2月26日
『青年日本の歌』奉唱
三重県四日市市桜町
敷島通信









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坂井直(さかい・なおし)陸軍中尉 
陸軍士官学校44期 三重県四日市市桜町出身
明治43年・1910年8月13日生まれ 
二・二六決起(昭和11年・1936年2月26日)
銃殺刑死(昭和11年・1936年7月12日午前7時54分 額の真ん中に被弾) 満25歳没
三重県「二・二六事件と三重県関係者」
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=40
転載:坂井中尉は事件当時27歳(年齢詳細確認要)


半月前に結婚した妻・孝子を思いやっての遺書 (2・26事件と昭和維新から転載)

死がやってまいりました。孝子の腹巻に御守りが這入って居ります。宏大無辺の即仏の御慈悲に浸り、唯忠を念じて瞑目致します。前途を祝福してください。
天皇陛下万歳


遺詠(昭和11年7月10日) (二・二六事件の真実から転載)
この上は護國の鬼と仕えてそ 死して甲斐ある命なるらん

2524.jpg
遺書 「尊皇愛國  昭和11年7月10日 坂井直」

鎮魂 



二・二六決起(昭和11年2月26日) 坂井直・陸軍中尉(銃殺刑死)の墓参 決起から82年 「青年日本の歌」奉唱
(三重県四日市市桜町 30/02/26)敷島通信

※動画の山の画像は、坂井直・陸軍中尉のお墓の後ろの土手から平成30年2月26日に撮影した鈴鹿山脈です。


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二・二六決起 坂井直・陸軍中尉のお墓(平成30年2月26日)


皇紀2678年・平成30年2月26日、二・二六決起(昭和11年2月26日)の坂井直・陸軍中尉のお墓参りをさせて頂きました。

二・二六決起から82年目となります。

本年で6年目となりますお墓参りですが、今までで一番天気が良く、雲一つない晴天で、風もあまり吹いておらず、気温も暖かく春先のような天候でした。

鈴鹿山脈がはっきりと見え、また白い月も見え、青い空、太陽、月、山、お墓の背後の三滝川、お墓の脇を流れる清流の小川と坂井直・陸軍中尉が子供のころ見たであろうと思われるほのぼのとした景色を共有させて頂いたのではないかと思うところでございます。

お墓に献花をさせて頂き、お参りをさせて頂き、二・二六決起の青年将校の日本民族諸先輩方が歌ったであろう「青年日本の歌(昭和維新の歌)」を墓前にて奉唱させて頂き、坂井直・陸軍中尉が、銃殺刑に処せられる直前に、唱和したと言われる「 天皇陛下萬歳」を同じく墓前にて唱和させて頂きました。

また、私の出身、出自について、三重県北勢某地区出身で、同地区の祖父がインパール作戦に参戦後イラワジ河会戦と思われますが、イラワジ川の畔で爆弾と共に戦死し、祖父の弟(同地区出身、陸軍士官学校→陸軍大学→関東軍作戦参謀→南方総軍→某方面軍参謀→終戦→公職追放→(サンフランシスコ講和条約)→陸上自衛隊に復帰→陸自某特科団長→陸自第10師団)が、陸軍士官学校第43期で坂井直陸軍中尉の一期上になると思われます、との主旨のことを心の中で述べさせて頂きました。

お墓の後ろには、「大正八年建 坂井傳七」と記されております。

真っ青に晴れ渡った空の元、坂井直陸軍中尉の憂國の志に敬意を表し、御魂靖からんことを御祈念申し上げ、お墓参りをさせて頂きました。

坂井直・陸軍中尉の憂國の至情、神州日本、日本民族に垂れ給わんことを御祈念申し上げます。

尊皇討奸

萬世一系の皇統護持

皇尊彌榮 皇御國彌榮

天皇陛下萬歳


(三重県北勢地区に於ける二・二六決起に関する備考)栗原安秀・陸軍中尉は、「佐賀県の出身ですが、幼少より三重県で育ち、桑名の小学校から、県立富田中学へ進み、津中学にも1年半ほど在学していました」と三重県のホームページの「二・二六事件と三重県関係者」に記載されております。

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坂井直陸軍中尉のお墓の後方の三滝川の土手から撮影した鈴鹿山脈 平成30年2月26日

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坂井直陸軍中尉のお墓から300mほど離れた所から撮影した月(月齢10.3) 平成30年2月26日

5230.jpg
奥に見える上記表札「三十三間筒」(さんじゅうさんげんどう)の左方面がお墓
平成30年2月26日撮影

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お墓に入る所にある表札(平成30年2月26日現認、新しくなった表札) 平成30年2月26日撮影

(以下、表札の文字起こし)
三十三間筒
三十三間筒(どう)について、地籍村地誌(明治十七年編)は次の様に記述している。
<埋樋(うめとい)>神森村、桜村の界、金谷(かんだに)川底にして蟹川にあり、長三十間、堅二尺五寸、巾三尺。
正徳元年(一七一一)松平越中守代官石原清右ヱ門官費を以って伏替、長三十三間、内法(のり)三尺、其後石樋に換し前の数と改む。
江戸時代、知積東部は桑名藩松平家に属していたが、三滝川も金渓川(かんだにがわ)(金谷川)も常水がなく灌漑用水にこまり、森(神森)の蟹池(伏流水)を水源とする蟹川に頼っていた。
しかし、旱魃(かんばつ)の年には水不足のため両村の間に水論が起こり、安永六年(一七七七)の訴訟問題は十年後の天明六年(一七八六)に解した。
この結果、森村の用水の余分の水は残らず埋樋(三十三間筒)を通して知積村へ流す約束ができた。
明治時代の測量図では、金渓川の右岸堤防は今の桜一色の堤防沿いの道になっており、昔の川幅が三十数間もあったことがわかる。
桜地区連合自治会
監修 桜郷土史研究会

「三十三間筒」(さんじゅうさんげんどう)  桜地区地域社会つくり推進委員会  桜郷土史研究会
http://www.sakuracom.jp/~kyoudoshi/shisekisetumeiban/setumei.html#shiseki11
http://www.sakuracom.jp/~kyoudoshi/11-33kendou/33kendou.html



敷島通信 2678(30)-02-26



『「二・二六決起」坂井直陸軍中尉 「楯の会」森田必勝烈士』ブログ群のURL)
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-category-1.html



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昭和維新の歌 映画 『2・26』 より https://youtu.be/cqH_yKjQw-A
映画「226」 皇紀2649年(1989年)
坂井直・陸軍中尉役・・・加藤昌也(雅也)
妻・坂井孝子役・・・藤谷美和子

諏訪神社とニ・ニ六事件
http://www.citydo.com/prf/mie/area_kita/kenbun/discover/yokkaichi001.html
二・二六事件を起こした青年将校の一人、坂井直中尉が結婚式を挙げた神社なのです。理想に燃えた青年将校は、諏訪神社で挙式後すぐに事件に参加しています。残された新妻は、決起のことも後から本人に知らされ、夫婦として2週間一緒に生活しただけで夫を失いました。 (転載)

5233.jpg
諏訪神社 (三重県四日市市諏訪栄町22-38)http://www.suwajinjya.jp/  平成30年2月26日撮影
主祭神
建御名方命 タケミナカタノミコト (別称:武南方神、諏訪神)
八重事代主命 ヤエコトシロヌシノミコト (別称:事代主神、積羽八重(ツミハヤエ)事代主神、恵比寿大神、一言主神)

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青年日本の歌
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/seinen.html

2525.jpg
五・一五決起 (昭和7年5月15日) http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-237.html
作詞・作曲:三上 卓

一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つ時に
丈夫の歌なからめや
六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな

昭和五年

 ……作詞者の三上卓は海軍少尉で、昭和5年5月24才の時佐世保でこの歌を発表した。以来、昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いだ。
 紀元前3~4世紀頃、中国は戦国時代にあった。当時揚子江流域一体を領土としていた楚に、屈原という人物がいた。詩人であり政治家でもあった屈原は、王への進言をことごとく側近に邪魔され、遂には失脚させられて追放される。しかし屈原は他の国に仕えることをせず、祖国の滅亡の危機を憂いながら洞庭湖畔汨羅の川に身を投げた。楚はやがて秦に滅ぼされ、以来屈原は「不運の愛国者」の代名詞となった。
 この歌はこの故事を冒頭に引いている。ちなみに、端午の節句の「ちまき」は彼に由来する。(ネットより転載) 


非理法権天「端午の節句」
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-1708.html

端午の節句
http://kids.goo.ne.jp/parent/seasonevent/kodomonohi/detail_07.html
http://www.kougetsu.co.jp/tangonosekku/tango-iware.htm

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墓所:三重県四日市市桜町228-4(の北がお墓)
墓所地図⇒https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92512-1211+%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E5%9B%9B%E6%97%A5%E5%B8%82%E5%B8%82%E6%A1%9C%E7%94%BA%EF%BC%92%EF%BC%92%EF%BC%98%E2%88%92%EF%BC%94/@34.9991921,136.5411177,125m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x600392eea20ad5eb:0x95b470ed83b8b7e6!8m2!3d34.9990243!4d136.541546
二・二六決起 坂井直中尉のお墓は三重県四日市市桜の湯の山街道の湯の山に向かい四日市インターチェンジを超えて1キロくらい行くと、道路が川を越えるために登り坂になる手前を右に入って金渓川の南にあります。
三重県四日市市桜町228-4の北にあるお墓です。
近くに綺麗な小川が流れ、墓所の一番奥(北)の列で左奥(西奥)から二番目で、その列の一番背の高い先祖代々と記されたお墓です。



青年日本の歌(ニ・ニ六決起 自決・刑死の憂國烈士 鎮魂)
http://www.youtube.com/watch?v=aOxBzEoW0Dg
 

二・二六決起 憂國烈士
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-1872.html






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