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非理法権天 「敷島通信」山下俊輔(山下しゅんすけ) 起きる会 代表

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

「豊橋陸軍墓地 清掃奉仕」
「御嶽社(東田古墳・墳丘上、大東塾大考道場隣接)参拝」 
愛知県豊橋市 
令和2年5月3日
 


「豊橋陸軍墓地」清掃奉仕 日本国国歌「君が代」斉唱 黙祷 令和2年5月3日



令和2年5月3日、國憂う有志は豊橋陸軍墓地(愛知県豊橋市東田町西前山1-1)に参集し、同墓地の清掃を至誠を以って、御奉仕致しました。

豊橋陸軍墓地清掃奉仕は杉田謙一氏が毎月第一日曜日に行っており、この行動に合流させて頂き同清掃奉仕を行わさせて頂きました。

畏くも 昭和天皇様の天長節でありました4月29日、昭和節の日に殉國七士廟で杉田謙一氏のお誘いに有志の方々が参集した運びとなりました。

清掃奉仕の方々の詳細は、杉田謙一氏、つげまさじ(柘植雅二)氏、伊藤国彦(愛国倶楽部 代表 伊東富士夫)氏、他 有志の方々、全員で9名の方々となりました。

初めて参加させて頂きましたがかなり広く草取りや掃除は多くの労力が必要であると感じました。

大日本帝國陸軍軍人のお墓の周りの草取りや敷地の落ち葉などを清掃させて頂きました。

清掃奉仕の後、杉田謙一氏の先導で日本国国歌「君が代」斉唱、黙祷を行わさせて頂きました。

杉田謙一氏が疑義申し立てていた手水舎の屋根が取り壊されたところも現認しました。

土台と柱は修理する必要なくあったとのことから、屋根だけを何らかのかたちで修繕あるいは新しく造れば良かったのではないかと思いました。

広い豊橋陸軍墓地に一雨降ると多くの草が生えて来るのだろうと思い、これから夏に向けて草木が生い茂るので、清掃は大変なことだろうと思いました。

神州日本に殉じ亡くなられた御英霊も「たまには思い出してくれよな。たまには掃除してくれよな」と思われているのではないかと思うところです。

私の祖父も大日本帝國陸軍軍人でビルマのイラワジ川の畔で玉砕戦死しているので、同じ陸軍軍人の御英霊のお墓なので心情的に近しいものを感じました。

戦死した祖父の出征の時の最後の言葉は「じゃあ、行ってくるわ」とのことを叔父から伺いました。

そして、帰ってきたのが木の箱に入った石一個と叔父から伺いました。戦死した祖父のお墓には名前は記されていますが遺骨はありません。

※祖父(インパール作戦参戦の後、イラワジ会戦(と思われる)で玉砕戦死)軍歴(三重県庁:軍歴証明より)
大正
13年4月:一年志願兵として入営
14年3月:現役満期
4月:勤務演習招集
4月:見習士官
8月:招集解除
昭和
3年3月:在郷任官
19年:5月臨時招集により歩兵151連隊補充隊に応召(加筆:旧制三重県立富田中学校(現、三重県立四日市高校の数学と絵の教諭時に召集。森田必勝烈士の兄・森田治氏は同校出身で在学時、同校教諭時の祖父のことを知っていると言っておられた)
6月:門司港出発
7月:昭南港上陸(加筆:シンガポール)
7月:歩兵51連隊付
7月:馬来泰国境通過
9月:泰緬国境通過
20年1月17日:ビルママンダレー縣ピンミにおいて戦死(陸軍中尉)
死亡告知書
戦死認定せられましたから御知らせ致します
昭和22年10月4日 三重縣知事 靑木理
鎮魂

※軍歴証明を申請できる方
愛知県:大東亜聖戦等国難に殉じ戦死された方又は日本軍にいた方の血族・姻族の三親等までが申請できる。
岐阜県:同上
三重県:大東亜聖戦等国難に殉じ戦死された方又は日本軍にいた方の血族六親等まで姻族三親等までが申請できる。
(都道府県によって違うとのこと) 
私見:愛知県、岐阜県の御遺族の方は、御英霊の直系曾曾孫(ひひまご)までなので、申請できなくなる世代が来るまでに軍歴を取得しておいた方がいいと思います。

備考)豊橋市の大日本帝國陸軍の師団
第15師団 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC15%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
第一次編成、第15師団は1905年(明治38年)4月1日に愛知県豊橋市で編成され・・1925年(大正14年)に加藤高明内閣で行われた所謂「宇垣軍縮」によって4個師団の廃止が決まり、第15師団も第13・第17・第18師団と共に廃止された。
第二次編成、支那事変が起こると1925年(大正14年)に廃止された師団番号を利用し復活した。
インパール作戦では作戦開始時に1万5000名を越えた将兵の半数を失う結果となった。そして昭和19年末にはイラワジ会戦が行われたが、戦力回復ができぬまま戦闘加入せねばならず、その結果またも甚大な損害を蒙った。1945年(昭和20年)8月初旬にタイに撤退命令を受け後退し同地で終戦を迎える。(抜粋編集転載)


豊橋陸軍墓地の御英霊のお墓に御遺骨があるのかどうかを厚生労働省に聞きますと、豊橋市に聞いてもらいたいとのことで、豊橋市産業経営課に聞くと、東海財務局に聞いてもらいたいとのことで、東海財務局第二統括部門に聞くと、戦前は陸軍が所有していたが戦後、陸軍が解体させられた時に内情を知らされずに工作物・財産として大蔵省が引き継いだとのことで、調べておくとのことで、現在、武漢肺炎の件で在宅勤務などの関係から少し時間がかかるかもしれないとのことだったので、「落ち着いてからで、結構ですので」と伝えました。

現在、豊橋陸軍墓地は所有者は国で、管理が豊橋市になっています。

清掃奉仕が終わり、豊橋陸軍墓地供花台の前にて杉田謙一氏の先導で、日本国国歌「君が代」斉唱、黙祷をさせて頂きました。 鎮魂

豊橋陸軍墓地の清掃奉仕を終え、近くにある御嶽社(みたけしゃ)に伺いました。

※御嶽社 (愛知県豊橋市御園町5-3)
東田古墳(あずまだこふん)墳丘の上
前方後円墳 古墳時代中期 5世紀
東田神明宮東田神明宮(あずまだしんめいぐう) 愛知県豊橋市御園町6-16の西 約100m
大東塾大考道場隣接

杉田謙一氏に合わせて御嶽社に参拝させて頂き、同氏に御嶽社についてのご説明を伺いました。

御嶽社の階段、境内の補修を杉田謙一氏が行ったとのことを伺い維持修繕にご尽力されていることに敬意を表するところでございます。

御嶽社周辺の清掃も杉田謙一氏が行っているとのことであり、殉國七士廟、豊橋陸軍墓地、御嶽社周辺とその清掃範囲は広い面積を有し、大変なご尽力をなされていると感嘆する次第です。

御嶽社は東田古墳の墳丘上に建っている神社で、創建されたのは大東塾の影山正治様初めとする有志の方々で、拝殿の前の右横に氏名が列記されています。

大東塾大考道場は隣接しており、古墳、神社、同道場と一体となっております。

杉田謙一氏より大東塾塾長・影山正治様(昭和54年5月25日、最後の活動として元号法制化を訴え大東農場にて割腹の後、散弾銃により自決。68歳。愛知県豊橋市出身)の父であります大東塾創立者・影山庄平様(昭和20年8月25日、代々木練兵場一角に於て塾生十三名と共に割腹自刃。静かに清く無限の悲願を籠めて終戦の大難に殉ず。享年六十。愛知県豊橋市出身)の碑の説明を伺いました。

神州日本に殉じられた豊橋の御英霊のお墓、御嶽社、国憂い自決された大東塾・影山庄平翁の碑を拝させて頂き誠に有難うございました。

御魂靖らかならんことを御祈り申し上げます。 鎮魂

天皇陛下萬歳


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豊橋陸軍墓地 (愛知県豊橋市東田町西前山1-1)
※豊橋市美術館 陸軍墓地
http://www.toyohashi-bihaku.jp/?page_id=4385

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豊橋陸軍墓地入り口の説明表記

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豊橋陸軍墓地を清掃する有志

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草刈り機を使用し清掃奉仕をされる杉田謙一氏

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手水舎の屋根が傷んでいたため、修繕されることなく国有財産(国民共有の財産)所有権者の財務省に造作物が解体撤去された。杉田謙一氏は当該解体撤去に疑義を申し出ておられた。
杉田謙一氏「東日本大震災を悼む  豊橋陸軍墓地東屋撤去はなぜ」
http://plaza.rakuten.co.jp/seimeisugita/diary/202003110000/?scid=we_blg_tw01 #r_blog

「豊橋陸軍墓地」 杉田謙一氏、日本政府・財務省による同墓地手水舎の屋根撤去に係る疑義を呈す(愛知県豊橋市 令和2年5月3日)


「豊橋陸軍墓地」 杉田謙一氏、御嶽社(東田古墳・墳丘上、大東塾大考道場隣接)の説明(愛知県豊田市 令和2年5月3日)


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浮いてきている銅板は修繕されるとのこと(杉田謙一氏談)

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清国軍人捕虜のお墓 (杉田謙一氏談)

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杉田謙一氏の先導の元、日本国国歌「君が代」斉唱、黙祷を行う有志

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左から、伊藤国彦(愛国倶楽部代表 伊東富士夫)氏、杉田謙一氏、つげまさじ(柘植雅二)氏

杉田謙一氏 https://plaza.rakuten.co.jp/seimeisugita/diary/202005030000/
つげまさじ(柘植雅二)氏 http://tsuge-m.jugem.jp/?search=%CE%A6%B7%B3%CA%E8%C3%CF
愛国倶楽部 http://aikokukurabu.blog13.fc2.com/blog-entry-4694.html
(順不同)

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豊橋陸軍墓地清掃奉仕の有志 (清掃奉仕を終えて)


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位置図 https://www.google.com/maps/place/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%A2%93%E5%9C%B0/@34.7670825,137.4078082,16z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x39499602deddc6de!8m2!3d34.7641621!4d137.4061866
豊橋陸軍墓地 愛知県豊橋市東田町西前山1-1
御嶽社(東田古墳の墳丘上、大東塾大考道場隣接) 愛知県豊橋市御園町5-3


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大東塾大考道場 (愛知県豊橋市御園町5-3)

※大東塾 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E5%A1%BE
1939年(昭和14年)4月3日に影山正治が中心となって結成された右翼団体。一般には全国組織の不二歌道会も含め「大東塾・不二歌道会」として知られる。歌道の修業を人間形成の基本におき、人格の陶冶徳性の練磨を重視した。1945年(昭和20年)8月25日には代々木練兵場で天皇に敗戦を詫びて14名が割腹自決を行っている。

※影山正治烈士
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E6%B2%BB
影山 正治(かげやま まさはる、1910年(明治43年)6月12日 - 1979年(昭和54年)5月25日)は、日本の右翼活動家、思想家、歌人。
愛知県豊橋市生まれ。国家主義者の影山庄平を父に持つ。國學院大學卒業。保田與重郎に親炙し日本浪曼派の影響のもと民族派としての右翼活動、論評、作歌を続けた。歌道や記紀に関して著書多数。

来歴
1933年(昭和8年)、斎藤実首相らの暗殺を計画し神兵隊事件に参加し下獄する。その当時の獄中吟を編纂し歌集『悲願吟』(1936年(昭和11年)、奥戸足百との共著)を出版、同歌集が保田與重郎に評価されその結果日本浪曼派に接近する。

1937年(昭和12年)9月、日本主義文化同盟を結成。機関誌『怒涛』の創刊号には倉田百三、林房雄、中河与一らが寄稿している。

1939年(昭和14年)4月、國學院大学生を中心とする維新寮を「大東塾」と改称。塾長に就任する。顧問として倉田百三を迎えた。

1940年(昭和15年)、米内光政首相らの暗殺を計画し皇民有志決起事件(七・五事件)を首謀。禁固5年の実刑判決を受ける。しかし「再生不能性貧血症」のため一時危篤状態に陥り翌1941年(昭和16年)、刑の執行が免除された。1944年(昭和19年)11月に応召して中国大陸に出征し、華北で終戦を迎えた。影山の父・庄平は1945年8月25日に代々木練兵場にて大東塾生13名と共に割腹自殺を遂げた。

終戦後、大東塾の解散を命ぜられた。その後、不二歌道会を設立し主宰。同時に不二出版を設立した。

1954年(昭和29年)、大東塾を再建し東京都青梅市に大東農場を開いた。戦後右翼の重鎮として論評や作歌活動を続けた。

日米安保体制には反対する姿勢を示し、多くの右翼団体が「反共」を名目に安保改定を支持していたが、影山は安保闘争にも理解を示していた。警官隊との衝突で女学生の樺美智子が死亡すると、「樺美智子さんの死に対しては、心から哀悼の言葉を述べたい。彼女こそ日本のために亡くなった愛国者だ」と追悼の言葉を述べ、樺のような人物が右翼側から出なかったことを批判している。

1979年(昭和54年)5月25日、最後の活動として元号法制化を訴え大東農場にて割腹の後、影山は散弾銃により自決した。68歳没。影山はその際に「一死似て元号法制化の実現を熱祷しまつる」と書かれた遺書を残していた。影山の死後、元号法は可決された。(転載)

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東田古墳
昭和56年10月豊橋市教育委員会

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境内改修之碑
当東田御嶽神社は 明治初年の御創建にして 國常立神 大己貴神 少彦名神を祀る御鎮座の岡 東田古墳は五世紀頃築造の前方後円墳である たまたま昭和四十九年周辺地域の区画整理に際し墳麓の大半を覆土するの止むなきに至ったため 所有者随神大考道側 施行者区画整理組合側 監督者豊橋市側 地元考古学者グループ側の四者が熟議協力 最大限の現況確認と保存上の措置を講じた上で実施 永く後世に残すものである 時にまた大考道場の再建成る

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杉田謙一氏がコンクリートで修繕した階段(画像は同氏)

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杉田謙一氏がコンクリートで修繕した境内

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御嶽社(みたけしゃ)  愛知県豊橋市御園町5-3
御祭神 
國常立神(くにのとこたちのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)

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御嶽社拝殿庇増築並びに電話施設寄附者芳名

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杉田謙一氏がコンクリートで修繕した階段

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影山庄平翁之碑

影山庄平翁之碑(愛知県豊橋市御園町5-3)


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影山庄平翁之碑 尾崎士郎謹書

※影山庄平翁
1886-1945 大正-昭和時代前期の国家主義者。
明治19年2月14日生まれ。神職となり,大正4年神道興徳会を創立。昭和14年長男正治と大東塾をおこし,19年塾長代行となる。終戦直後の20年8月25日東京代々木練兵場で塾生13名とともに自決。60歳。愛知県出身。(転載)

影山庄平大人
http://yukoku.xii.jp/yukoku/senchuha/inochi/kageyama.html
辞世歌
こんとんをひらきて今や天地の始發の時と祈り行くなり
國うれふやたけ心のきはまりて静かなるかも神あがるとき
神ながら己が祈りの身ごもりて天の御柱國の御柱

昭和18年11月 豊橋に「大孝道場」を創建。
昭和19年11月 影山正治塾長北支出征に当り塾長代行に就任。
昭和20年8月15日 終戦の大詔を拝するや単独自決殉難を決意。
昭和20年8月25日 代々木練兵場一角に於て塾生十三名と共に割腹自刃。静かに清く無限の悲願を籠めて終戦の大難に殉ず。享年六十。
個人顕彰碑(昭和38年10月建立) 豊橋市東田中郷町東田 御嶽社境内 (転載)

憂国の烈士 https://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-yuukoku.htm
敗戦降伏の日、自決した日本人は国内外を通じて多数にのぼり、それは軍人・軍属に限らなかった。東京の集団自決だけでも、8月22日には尊攘義軍10人が手榴弾で自決(その5日後、夫人3人が後を追って自刃し2人が死亡)、翌23日には明朗会12人が自決、25日には大東塾14人が古式に則り割腹自決を遂げた。(転載)

※尾崎 士郎(おざき しろう)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E5%A3%AB%E9%83%8E
1898年(明治31年)2月5日 - 1964年(昭和39年)2月19日)
日本の小説家。新聞連載小説『人生劇場』がヒットし、流行作家になった。
愛知県幡豆郡横須賀村(現西尾市)生まれ。1910年(明治43年)、横須賀尋常高等小学校(現・西尾市立横須賀小学校)卒業。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に進学。2年進級時に数学と体操の点数不足で留年したため、6年間中学校に在籍した。中学在籍中、雑誌『世界の日本』に論文「いかにして選挙権を拡張すべき乎」を寄稿。これが評者の早稲田大学教授・永井柳太郎の目にとまり、永井の薦めにより早稲田大学進学を志すようになった。(転載)

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一堅靈神

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嶽譽靈神 泰山堀尾茂助謹書

※堀尾 茂助(ほりお もすけ)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%B0%BE%E8%8C%82%E5%8A%A9
(1861年10月4日(文久元年9月1日)[ - 1940年(昭和15年)12月28日 )
日本の政治家、衆議院議員。名は恭、後に茂助と改名。号は楽斎、庭柏居士。堀尾吉晴の子孫とされる堀尾義康の息子として尾張国東春日井郡小木田村大字関田(現在の春日井市)で生まれる。剣法、漢学、書法、詩作を学んだ。(転載)

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「影山庄平翁之碑」の後方は、東田古墳(あずまだこふん) https://kofun.info/kofun/1837http://www.net-plaza.org/KANKO/toyohashi/kofun/azumada-kofun/index.html
古墳時代中期の前方後円墳。墳丘上には御嶽社が建つ。出土遺物に鳥文鏡などがある。
規模:全長40m
後円部:直径25m
高さ:3m
前方部:先端幅16 m
高さ:4m (転載)

豊橋市美術館 http://www.toyohashi-bihaku.jp/?page_id=483
古墳時代
愛知県最多の古墳数を誇る豊橋市。豊かな古墳文化が芽生えました。 ・・また中期には鳥文鏡などが出土した東田古墳が・・恐らく600基を越える数の群集墳が山間部などに築かれました。
(抜粋転載)

豊橋古墳めぐり第壱弾<三ツ山、東田、日吉、萬福寺>
https://toyohashi.tv/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8A%E7%AC%AC%E5%A3%B1%E5%BC%BE/




(お知らせ)愛知県豊橋市に於ける演説会
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6/7 愛知県を良くするための大演説会in豊橋
講演会:愛知県知事のリコール権を有する有権者・主権者たる愛知県民の意見発表 
講師:山下俊輔
日時:令和2年6月7日(日)午後1時開場
場所:豊橋市・豊橋商工会議所4階401号室
主催:愛知県を良くする連絡会
共催:日本国民党
協賛:愛国倶楽部、在日特権を許さない市民の会、佐野自然塾
連絡先:090-1235-6032 つげまさじ(柘植雅二)氏



武漢肺炎・武漢コロナウイルス(生物兵器・人工ウイルス疑惑あり。世界拡散下手人:習近平。拡散共謀者:WHO事務局長テドロス)対策
東北医科薬科大学病院「新型コロナウイルス感染症 ~市民向け感染予防ハンドブック」
http://www.hosp.tohoku-mpu.ac.jp/info/information/2326/
免疫力を上げよう
http://www.minamitohoku.or.jp/up/news/konnichiwa/201005/homeclinic.html
飛沫はどこまで飛ぶ? 感染防ぐ専門家の見解は
https://www.sankei.com/west/news/200312/wst2003120012-n1.html
専門家会議/新型コロナウイルス「クラスター発生」3条件提示
https://www.ryutsuu.biz/government/m031042.html
【図解】新型コロナウイルスはどのように伝染するのか
https://www.afpbb.com/articles/-/3274538
自衛隊「新型コロナウイルス感染拡大防止のための教育資料」
https://www.mod.go.jp/gsdf/mae/images/korona-kyouiku.pdf





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