非理法権天 ひりほうけんてん (敷島通信)

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

「二・二六決起」 憂國烈士の御魂に敬意を表します  


青年日本の歌(ニ・ニ六事件 自決・刑死の憂國烈士 鎮魂)



昭和維新の歌  映画 『2・26』 より

映画「226」1989年
坂井直中尉役・・・加藤昌也(雅也)
妻・坂井孝子役・・・藤谷美和子



フォト
坂井直(さかい・なおし)陸軍中尉 
陸軍士官学校44期 三重県四日市市桜町出身
明治43年・1910年8月13日生まれ 
二・二六決起(昭和11年・1936年2月26日)
銃殺刑死(昭和11年・1936年7月12日午前7時54分) 満25歳没

鎮魂 

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(以下、「2・26事件と昭和維新」より転載。敬称一部加筆)

坂井直・陸軍中尉は、明治43年三重県で生まれた。

陸軍士官学校は44期生で、少尉任官とともに歩兵第三連隊付になる。

歩兵第三連隊には安藤輝三大尉がおり、坂井中尉は安藤大尉の影響をもっとも受けた人間である。

加えて、士官候補生時代、中隊の区隊長だったのが村中孝次であり、思想的影響を受けるバックボーンは揃っていたといえる。

歩三には一時期、秩父宮殿下が勤務していたことがあり、以後も秩父宮殿下は安藤大尉と交流があった。その連絡係りをつとめたのが坂井中尉である。

「秩父宮殿下、歩三におられし当時、国家改造法案もよく御研究になり、改造に関しては良く理解せられ、このたび〇起せる坂井中尉に対しては御殿において「〇起の際は一中隊を引率して迎えに来い」と仰せられしなり」(中橋基明中尉の獄中手記)

この坂井中尉が半月前に結婚した妻・孝子を思いやって次のような遺書を残した。

「死がやってまいりました。孝子の腹巻きに御守りが這入って居ります。広大無辺の即仏の御慈悲に浸り、唯忠を念じて瞑目致します。前途を祝福してください。 天皇陛下万歳」。



「判決からわずか5日後の死刑執行」

死刑の執行は判決のわずか5日後の7月12日に執行された。

なお磯部と村中は北一輝、西田税の裁判の証人として執行が延期されている。

刑場は衛戌刑務所の北西に造られた。

塀に沿って五つの壕が掘られ、それぞれ一つずつ十字架(刑架)が設けられていた。

処刑者は五人一組ずつ刑場に引き出され、十字架の前に正座し、十メートル離れたところから一人につき二人の射手が射撃するという方法で刑が執行される。

処刑者はそれぞれ次のグループに分かれて刑場に入った。

第一回(午前7時)

第二回(午前7時54分)
丹生誠忠中尉、坂井直中尉、中橋基明中尉、田中勝中尉、中島莞爾少尉

第三回(午前8時30分)

(転載ここまで)

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坂井直

坂井直は三重県の生れ、陸士四十四期生である。

少尉になったときから歩三付で、「安藤大尉ヨリ種々薫陶セラルル所アリ」(坂井調書)といっているように安藤の影響をもっとも受けた。

候補生時代には菅波三郎(当時中尉、歩三)の話をきいていた。

村中孝次は彼の士官学校予科時代、中隊の区隊長であった。

河野司編「二・二六事件」には「秩父宮殿下が歩兵第三連隊に御在勤中は、連絡将校として、つねに御殿に参上していた。殿下の御意中をもっともよく知る一人である」(同書「二十二列士の横顔」)と書かれている。

この連絡とは、公用のことではなく、秩父宮と安藤とのパイプ的役割をいう。

松本清張 「昭和史発掘(9)」  P.95

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二・二六決起
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