非理法権天 ひりほうけんてん (敷島通信)

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

写真
「鮮人」 小杉未醒(放菴)1881-1964 


東京藝術大学大学博物館http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=1590


(上記絵の説明文が絵の左下の横に下記が表示されている)

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小杉未醒(放菴)
1881-1964

鮮人

紙本墨画

     東京藝術大学大学美術館



KOSUGI Misei(Hoan)
1881-1964

Korean

ink on paper

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(上記説明文の左横に下記が縦書きで表示されている)

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展示作品中、不適格な表現がなされているものがありますが
作者の反戦的意図を尊重し、そのまま表現としています。
ご了承下さい。

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(小杉未醒の概要 愛知県美術館にあった本より転載)



小杉未醒(放菴)こすぎ みせい:ほうあん
明治14年-昭和39年(1881-1964)

平田派の国学者であり神官であった小杉富三郎の末弟として栃木県にう生まれる。

本名は国太郎。大正12年放菴と改号、昭和に入って放菴と署した。

日光在住の画家城文哉の内弟子となるが、明治30年上京し白馬会研究所に通うが、病を得て帰郷。

この頃未醒と号した。

再度上京、不同舎に入門する。

大平洋画会で活躍する一方、日露戦争に従軍、反戦的な作品を制作する。

文展に出品を続け、第四回展で三等賞を翌年の第五回展では二等賞を受けた。

明治44年には小川芋銭(おがわ うせん)を漫り二人展を開いている。

この頃、日本画の団体である「天声会」にも参加を発表、翌年ヨーロッパに留学する。

大正3年帰国後、この構想は再興日本美術に引き継がれ同人として参加、洋画部の責任者となる。

この時期から水墨画を盛んに描く。

大正9年院展洋画部同人とともに日本美術院を脱退、大正11年「春陽会」を結成する。

和漢の書籍に通じ、歌人、著述家でもある。

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愛知県美術館・副館長・村田真宏氏と話しをした。

私:「 「鮮」の表現を嫌い出したのは独立後の韓国であって、北朝鮮系や満州朝鮮族は「朝鮮」の呼称を嫌っていない。

韓国で「鮮」が嫌がられているのは南北の対立が原因であって、日本に言い掛かりを付けるのはそもそも筋違い。との論説(文太さんから引用させて頂きました)もあるが。

朝鮮人のこの言い分を聞くなら、中国も華夷秩序から他国を蔑視し差別的、邪馬台国も「邪(よこしま)」という文字が差別的、卑弥呼も「卑しい」という文字が差別的という意見をも聞き、不適切な表現との注釈を入れなければならなくなるのではないのか」

副館長:・・・・

私:「鮮人という作品の名称に注釈をつけるのはおかしいのではないか。注釈を取り除くべきだ。どの様な経過で鮮人という作品名に注釈がついたのか」

副館長:「李龍海氏(朝鮮人)が言ったことがきっかけで、放送関係で注意する言葉だから注釈を掲示した」

私:「放送関係で注意する言葉はどこで調べたのか」

副館長:「放送関係用語で職員がインターネットで調べた。そして注釈を入れた」

私:「誰が、この注釈の意思決定者で、誰がこの注釈を掲示することの意思決定者か」

副館長:「愛知県美術館、日本経済新聞社、テレビ愛知の共同開催なので、三者で注釈の表示について確認している。注釈を掲示するということに三者で合意して掲示した」

私:「鮮人という作品名は誰がつけたのか」

副館長:「作者(小杉未醒)が存命中に東京藝術大学に収蔵された。その時はそのタイトルで収蔵された。作者が(鮮人という作品名を)つけたということは否定できない」

私:「作者(小杉未醒)が鮮人という題名をつけた。それが、不適切というのであれば、言葉の使い方について作者(小杉未醒)は不適切な人物となるのではないのか?」

副館長:「答えられない」

私:「答えられない理由は?」

副館長:「申し上げられない」

私:「愛知県美術館は故人である作者(小杉未醒)が言葉の使い方に於いて、不適切な人物であると断定しなければ、不適格な表現との注釈を掲示したことに整合性がとれないのではないのか。

どうするのか」

副館長:「現在、検討中。絵を撤去するしない。様々な今回のことで要望を受け賜っていることについて検討中」

私:「いつまで開催するのか」

副館長:「5月23日」

私:「鮮人の注釈の件に関して、いつ結論をだすのか」

副館長:「分からない」

私:「芸術という分野の中で、その作者がつけた作品名に現在、朝鮮人の言い分で、注釈をつけることは、あってはならないことだ。

芸術の中で使われる作品名に現代の注意すべきという放送用語を引っ張り出し、作品名に不適切な表現と注釈を入れるということは、作者を冒涜するものだ。

芸術とは魂の領域ではないのか、そこの放送用語という物差しを持ち出し、その尺度で芸術における作者の表現を計り、これに不適切な表現という注釈を入れることは、芸術を扱う美術館としては致命的だ。

毅然と、朝鮮人の言い分を跳ね除け、文句があるなら朝鮮人に提訴してもらい、最高裁判所で決定することが妥当ではないのか。

要望する。朝鮮人の言い分を跳ね除け、注釈を取り外せ」

副館長:「要望として聞く」

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(所見)

朝鮮人・李龍海による言いがかり以外の何ものでもない愚挙に端を発し、それに愛知県美術館が美術館という芸術、人間の魂の表現を扱うという場所である自らのおかれた立場を亡失し、不当な要求を行う朝鮮人に日和見的感性・事なかれ的感性で迎合し、芸術を冒涜し、作者の魂を冒涜した極めて愚かなる、「愛知県美術館不当注釈掲載事件」であると断ぜられる。

芸術という分野に注意すべき放送用語を当てはめ、芸術をして愛知県美術館自ら進んでメディアのカテゴリに自らを編入・組み入れ、ここで裁定し、これを以て不適切な表現として扱い、作者本人を不適切な表現を使用する人物に貶めた行為は万死に値する。

作者の魂を冒涜し、尚、それでも美術館をして人の作品、作者自身の生命・魂をぶつけ、生命・魂そのもの、生命・魂を顕在化させた作者の作品で、その作者がつけた表題に、何故に現代の放送用語の一解釈でそれを誹謗することができるというのだろうか。

芸術にまで己のイデオロギー的な感性を投射した李龍海なる朝鮮人は、極めて作者の名誉、人権を冒涜し、広く芸術に対しての冒涜、敵対的な挑戦・反発を断行した不逞な輩であると断ぜられてしかるべきである。

朝鮮人をして、独善的、恣意的な被差別原理主義を以て、ありとあらゆる事象・表現に対峙・対抗・消去・滅殺を要求し、これを実行するならば、それは極めて忌むべき民族であるとの誹りから回避することは困難であるといえる。

愛知県美術館による現況の愚かなる注釈掲示は即時撤去し、愛知県美術館の毅然とした対応を期待する。
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