非理法権天 ひりほうけんてん (敷島通信)

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

朝鮮人が愛知県美術館にグズグズ言っているようだ。  

おのれ朝鮮人、人様の国でグズグズ能書き垂れやがって、オ~コラ!

この朝鮮人の言い分が通るなら、金印「漢倭奴国王」 、「卑弥呼」、「邪馬台国」も該当してありとあらゆるものが注釈と削除対象にということにならないか。

正しい歴史認識さんの論からすると本件朝鮮人の言い分がが通るなら、「中国」という表記も中華思想に基づき他国を侮蔑する表現ということで、注釈と削除対象になりうるともいえることになるが。

本件が容認されれば、ありとあらゆる表現に言いがかりを付け注釈、削除対象となりうることは否定できなくなる。

正しい歴史認識:電凸!画題「鮮人」差別的と抗議された愛知県美術館が「不適切な表現があります…」とただし書きを掲示・更に画題の変更を検討・抗議した李龍海「画題が決まるまでいったん作品を撤去すべきだ」・美術館にメールと電凸し「絵画の作者と作品に失礼だ」と逆抗議
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3824.html


民団HPhttp://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?
page=28&subpage=1241&corner=6
54作家、600編収録した「〈在日〉文学全集」
⑱詩歌集Ⅱ 生命を吹き込んだ言葉

 12詩人の17編を収録。 ・・・李龍海(1954年~)の「ソウル」は批評鋭く、尹敏哲(1952年~)の「火の命」は疎外感をうたった。・・・
(2006.8.15 民団新聞)



愛知県美術館
〒461-8525 名古屋市東区東桜1-13-2
TEL 052-971-5511(代) FAX052-971-5604 http://www-art.aac.pref.aichi.jp/
地下鉄東山線・名城線栄駅、名鉄瀬戸線栄町駅下車、オアシス21連絡通路利用 徒歩3分



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桜井誠氏ブログより


日本芸術の破壊を求める不逞鮮人http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10520747217.html

在特会公式サイト新URL
http://www.zaitokukai.info/

昨日、在特会に1本のメールが届きました。

愛知県美術館で現在行われている展示会の作品の一つ 『鮮人』 小杉未醒(1881~1964)の画題が差別的であるとして、福井市の朝鮮人が美術館側に言いがかりをつけて作品の撤去を求めているというものでした。

画題「鮮人」差別的と抗議 県美術館が変更検討
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100428/CK2010042802000025.html

記事にあるように「不適切な表現がありますが、作者の反戦的意図を尊重し、そのままの表現としています」と但し書きを掲示して展示しているとのことですが、言いがかりをつけてきた福井市の朝鮮人 李龍海はあくまで作品の撤去を求めているとのことです。

まったくもってとんでもない話です。

そもそも 「鮮人」 という言葉は当時の日本で普通に使われていた朝鮮人の呼称です。

それを今の感覚で差別的だから作品を撤去しろと要求するのは、遡及的言葉狩りであると同時に表現の自由を侵害し、芸術を破壊する行為に他なりません。

この不逞鮮人の不埒な要求を美術館側が受け入れるようであれば、表現の自由を守るべき美術館としての使命を放棄したものとみなされて当然です。

この記事を書く直前に美術館側に直接電話をかけ、不逞鮮人 李龍海の要求に屈することのないように申し入れを行いました。

また、ただちに在特会愛知支部に対して同美術館に赴き状況の確認を行うとともに、作品の撤去反対の申し入れを行うように指示しました。

朝鮮人のやりたい放題を放置してきた結果、我が国の芸術作品にまで外国人が口を挟むという状況を生み出してしまいました。

反日外国勢力に対して毅然とした態度を取ることが、現在ほど求められているときはないと思います。

愛知県在住の皆さまには、ぜひこの連休中に同美術館に足を運んで問題の作品をご覧になっていただき、美術館側に不逞鮮人の要求に絶対屈するなと県民の意思を伝えてほしいと心から願います。

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http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100428/CK2010042802000025.html
画題「鮮人」差別的と抗議 県美術館が変更検討
2010年4月28日

 県美術館(名古屋市東区)が開催する展覧会「小川芋銭と珊瑚(さんご)会の画家たち」で、展示作品の画題「鮮人」が差別的だとして抗議があり、同館が画題の変更を検討していることが分かった。

 作品は小杉未醒(1881~1964年)が明治末期から大正の間に描いたとみられるスケッチ。

朝鮮半島の民族衣装を着た男性を斜め後ろから描き「とき色の唐衣を抱いて前を見ている」という内容の歌が添えられている。

県美術館が東京芸大大学美術館から借り受けた。

 作品を見た福井市の詩人李龍海さん(55)が「蔑称(べっしょう)で心ある人を傷つけ、差別の種を植え付ける」と抗議。これを受け、同館は「不適切な表現がありますが、作者の反戦的意図を尊重し、そのままの表現としています」とのただし書きを掲示した。

 村田真宏副館長は取材に対し「差別的だと十分認識ができていなかったのは否定できない」と説明。

小杉が、日露戦争の非戦論を唱えた平民新聞の挿絵画家を務めた経歴などから「作品は征服者に対する独立心を表現している。

どういう経緯で画題が付けられたか分からない」として「朝鮮半島の人」などと変更する対応を検討している。

 李さんは28日に県庁を訪れ、公開質問状を提出する考え。「画題が決まるまでいったん作品を撤去すべきだ」と話している。

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http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai
第24題 「差別語」考

「北鮮」「南鮮」は差別語か

朝鮮の略称として「鮮」は差別語であるということは、朝鮮問題に関わる人の常識である。

私もこの言葉を使わないように気を付けてきた。

しかし何故それが差別語なのか、十分に納得できる説明をしてくれる人はいなかったし、本もなかった。

何はともあれ差別語であるから使うな、の一点張りだったと思う。

 近年の論文でも『こぺる №170』(1992年2月)に金光哲氏の「『鮮人』の呼称について」があるが、「鮮」が差別語であることを当然の前提としているもので、なぜそれが「朝鮮蔑視と侮蔑的感情が内包されている語」なのかの説明はない。

 冷静に考えてみるに、それは「鮮」が差別語であるということの証明にこれまで成功していないということではないか。

 まずかつての植民地時代に朝鮮人自身が担った社会運動で、例えば「衡平社第六回全鮮定期大会」というポスター(下記の註)があるように、「鮮」は朝鮮の略称としてごく普通に使用されており、「鮮」を使うことにためらいは感じられない。

 『戦後の50年』(毎日新聞社)をみると、1959年に「『北鮮に帰すな!』在日韓国人大会」というキャプションの写真が載せられている。そこには「北鮮送還絶対反対」という横断幕をもってデモをする韓国人たちが写っている。

 また現在の在日朝鮮人自身(多くは一世であるが)の口からこの言葉が出てくる。

私は「済州道というのは北鮮系が多いからなあ」とか「この前、北鮮にいる弟のとこ行ってきましたんや。

北鮮というとこ、太っているのは金日成だけや」とか言う在日一世たちの言葉を聞いた。

あるいはまた「なぜ『北鮮』『南鮮』が差別語なのか。うちの親はしょっちゅう使っている。『朝鮮』こそが差別語だ」と言う二世がいた。

 傾向として、韓国系の人が北朝鮮を「北鮮」と呼ぶことが多いようだ。朝鮮人自身が「北鮮」を多用していることについて、彼らが深刻に議論したというのは聞いたことがない。

 また二世の被差別体験の話を聞いても、「朝鮮」とからかわれたという話ばっかりで、「鮮」という言葉で差別されたという話はなかった。

あるいは「朝鮮」と言いかけてあわてて「韓国の方」と言い直す日本人が多いが、これは「朝鮮」が北朝鮮を意味することが多いだけでなく、相手の心を傷つける差別語ではないかと気づかってのことである。

「うちを朝鮮や思うてバカにしてる」とか「なんや、あんた朝鮮やったんか」と言う時の「朝鮮」には、差別的な響きを否定できない。

日本人でも朝鮮人でも「鮮」に差別的な語感を感じず、「朝鮮」の方に差別的な語感を感じる人が多いのではないかと思う。

 「朝鮮」の頭の「朝」という字を取り去って「鮮」と略称することが頭のないことを意味するもので、朝鮮への蔑視であるという説がある。

しかし、古来二文字の国名の下の漢字でもって略称とする例は多い。例えば「百済」→「済」、「新羅」→「羅」であり、日本でも旧国名では「美濃」→「濃」、「吉備」→「備」などや、今の地名では「大阪」を「阪」と略称することが少なくない。

頭の字を取り去ることは、頭のないことを意味するという説は、成り立たないものである。

 最近では、朝鮮史研究で著名な姜在彦氏はその著書『朝鮮儒教の二千年』(朝日選書2001年1月)のなかで、1392年に高麗が滅び朝鮮が建国された前後の時期を「麗末鮮初」と繰り返し書いておられる

朝鮮の略称としての「鮮」は決して奇異なものではない。

朝鮮の略称としての「鮮」が差別語であると主張する前に、そうであることの証明、および朝鮮人自身が「鮮」を使うことの理由と説明をはっきりさせるべきであろう。



(註) このポスターの実物の写真が金永大著『朝鮮の被差別民衆』(解放出版社1988)に掲載されている。ところがこの本の中味では、「全鮮定期大会」を「全国定期大会」と見出し・目次を含めて言い換えている。校正ミスではあり得ない。「全鮮」と「全国」ではその意味が全く違うものだ。これは妄言どころではなく、歴史の改竄である。翻訳者はどんな思いでこのようなことをしたのであろうか。読んで不思議な気がしたものである。
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