非理法権天 ひりほうけんてん (敷島通信)

敬神尊皇 七生報國 非理法権天       身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

七生報國 楠木正成公  

「錦に燃ゆる 楠木正成 吉川寅二郎著」 より


幕末の思想家であり、松下村塾(しょうかそんじゅく)において、多くの維新の志士たちを育てた吉田松陰は、小論「七生説(しちしょうせつ)」の中で、次のように述べている。



余聞く、贈正位楠公の死するや、其の弟正季(まさすえ)を顧みて曰く、

「死して何をか為す」

曰く、「願わくば七度たび人間と生れて、以て国賊を滅ぼさん」

公欣然(きんぜん)として曰く、「先ず吾が心を獲たり(えたり)」とてぐう刺して死せりと。・・・




吉田松陰は楠木正成(くすのき まさしげ)の「七生滅賊」を唱導し、身をもって楠公精神を貫いた。

その後、乃木希典将軍は、縁戚にあたる吉田松陰の「士規七則」の生き方を限りなく尊崇し、最後に妻静子とともに壮絶な殉死をした。

即ち、楠木正成は、吉田松陰によって甦り、その吉田松陰は乃木希典によって復活したのであった。



楠木正成といえば、笠置山の後醍醐天皇に馳せ参じた時のあの名セリフ、

「正成一人未だ生きてありと聞召(きこしめ)され候はば、聖運遂に開かるべしと思召(おぼしめ)され候へ」である。

楠公ならではの熱き天皇仰慕の思いと迫力、そして討幕への身震いする思いになるのである。

楠公の歌に、



   身のために 君を思ふはふた心 

       君のためには 身を思はず 



そして「桜井の別れ」の際の歌に、



   吾子(わがこ)には 散れと教へて己(おの)が先づ 

       嵐に向かふ 桜井の里



正成の「大楠公」たる所以ではなかろうか。




最後の楠木正成以下一族郎党72人の場面・・・

正成、正季は、狩衣を上半身ぬいで腹を出し、互いに正視しながら対座した。

あとの一族郎党たちも正成、正季同様に二列になって対座し最後の場面を迎えた。

二人は「七生滅賊」を誓い合い、表情には笑みを浮かべ、さながら覚者が入滅する時のように大安心の境涯をもって、兄弟互いに違え、ともに果てた。

あとの一族郎党ともに同じように続いて対座した相手と刺し違え死んだ。正成43歳であった。


↑ここまで


「湊川神社 御祭神 楠木正成公」http://www.minatogawajinja.or.jp/guidance02.html

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楠木正成公の忠孝精神は日本民族の日本民族たる生き様の指針以外の何ものでもない。
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